Violence, Silence, and Vulnerabilities of Migrant Workers In Japan: A Study of Indonesian Technical Intern Trainees in Japan

The demand for workers in Japan is increasing year by year. This is because Japan's population growth has been on the decline, and young Japanese workers are reluctant to work in low-skilled or dangerous industries. Japan developed the Technical Intern Training Program (TITP) to address these labor shortages and to strengthen cooperation with several countries,... Continue Reading →

日本における移⺠労働者の暴力、沈黙、ヴァルネラビリティ−インドネシア人技能実習生をめぐって−

日本における労働者の需要は年々増加している。 それは、少子高齢化社会が進んでおり、かつ日本人の若者が低技術又は危険だといわれている産業で働くことに消極的な傾向にいるためである。 日本は労働力不足を対処するため、インドネシアを含む発展途上国との協力の強化を図り、技能実習制度(Technical Intern Training Program, 以下は 「TITP」と略す)を設立した。以前、日本とインドネシアは1993年から研修制度を実施し、日本はインドネシアから研修生を短期間の労働力として受け入れていた。 研修制度における労働条件などを改善するために研修・技能実習制度、そして技能実習制度に変更されていたが、課題がまだ多く残っている。そこで本研究は、TITP に起因する問題点をインドネシア人技能実習生の視点から分析する。技能実習生の実際の経験を明らかにし、制度の改善のために日本政府とインドネシア政府に解決策を提言することを目的としている。本研究は、日本のさまざまな都道府県から 18 人の技能実習生・元技能実習生を対象に、この研究でインタビューを実施した。 本研究は、 「インドネア人技能実習生は、日本での実習中にどのように暴力(直接的および間接的)を経験するのか?」 「インドネシアの技能実習生に対する暴力はどのように彼らの「沈黙」に導くのか?」 「インドネシア人技能実習生に対する暴力は、その後どのように移住の過程で「脆弱性」として現れるのか?」 について議論している。本研究の論文は以下の章どおりにわけている。 第 1 章 はじめにでは、背景、文献レビュー、研究の意義、目的と課題、概念的枠組み、方法論、および研究の限界について記述する。 技能実習生の日本への移住に関するこれまでの研究を要約し、文献のいくつかのギャップを特定する。 次に、インドネシアの技能実習生が経験した暴力と、脆弱性や沈黙との関係を調べるという本研究の目的について説明する。 第 2 章 技能実習制度の歴史では、TITP の背景と、日本に導入されてから明らかになった重要な問題について解説する。TITPがどのように変更され、現在の技能実習制度になったのかを説明する。 次に、現在の TITP の概要、技能実習制度の課題、法的枠組みによる保護、日本の技能実習生を支援する市民社会の役割についても記述する。 第 3 章 は技能実習制度によるインドネシア人移住者の移動では、送出国であるインドネシアの視点から TITP を分析している。 インドネシアの国際移住と貧困の現状と、インドネシアの技能実習生が本制度に惹かれる理由から説明する。 この章では、インドネシアと日本の TITP のアクター間のキャッシュフローも分析する。 第 4 章 インドネシア人技能実習生の職場における暴力では 技能実習生へのインタビューをもとに、彼らの経験を「暴力論」を活用して紹介する。 今回の調査で技能実習生が経験した暴力は、①直接的暴力と②間接的暴力の2種類に分けられている。 間接的暴力においてはさらに、① 構造的暴力と ② 象徴的暴力の2つのカテゴリーに分けている。 直接的な暴力は身体的または言葉による (目に見える)暴力であり、間接的な暴力はより微妙な (目に見えない) 暴力を指している。... Continue Reading →

Menyoal Penangkapan Pekerja Migran Indonesia di Jepang dan Hak-hak Perlindungan bagi Peserta Magang

Oleh: Muhammad Reza Rustam, PhD/Dosen SKSG-Univ.Indonesia dan Co-Founder RUMI Jepang Pada Selasa, 27 Februari 2024, Indonesia dihebohkan oleh kabar seorang pekerja migran yang berangkat dengan visa magang ditangkap oleh kepolisian di Onomichi, Prefektur Hiroshima. Penangkapan ini terkait dugaan penelantaran bayi yang dilahirkannya pada usia kehamilan 6 bulan hingga menyebabkan kematian bayi tersebut. Mirip dengan kasus... Continue Reading →

Human Trafficking “Magang Jepang” dan “Merdeka Belajar”

Diterbitkan oleh Harian fajar, 31 Juli 2023 Beberapa waktu yang lalu, salah satu institusi pendidikan Indonesia terkena isu Tindak Pidana Perdagangan Orang dan diwartakan melalui salah satu media online tanah air. Menanggapi isu tersebut, beberapa pertanyaan muncul. Apakah ini merupakan kesalahan institusi? Ataukah upaya dari institusi untuk mengejar indeks prestasi dengan argumen “kerja sama internasional”... Continue Reading →

65 Tahun “Hubungan Indonesia dan Jepang” di tahun 2023?

Benarkah hubungan Indonesia-Jepang sudah berlangsung selama 65 tahun? Kenapa hanya 65 tahun saja? Bukankah pada tahun 1942-1945 Jepang pernah melakukan penjajahan di Hindia Belanda (Indonesia)? Kalau kita hitung, di tahun 2023 sudah lebih dari 65 tahun, kan? Apakah benar Hubungan Indonesia dan Jepang terjalin selama 65 Tahun di tahun 2023? Menanggapi pertanyaan pembuka di atas,... Continue Reading →

Nihongo No Mori 日本語の森文法N2#1/36 ~たとたん(に) VS ~(か)と思う

Tulisan ini didasari pembahasan 日本語の森 yang bisa di akses pada chanel youtube dengan judul #1/36 ~たとたん(に) VS ~(か)と思う. Pembahasan kali ini, Yuki Sensei menjelaskan dan membandingkan tentang 2 (dua) bunpou Bahasa Jepang level 2 yang memiliki kemiripan dalam penggunaannya yaitu; 〜たとたん(に) dan (か)と思う/と思ったら。 1.〜たとたん(に) Arti : Tiba-tiba Penggunannya: Ketika kejadian A telah terjadi tiba-tiba  saja ... Continue Reading →

JLPT日本語能力試験N2文法 (あげく, あまりに, 以上, 一方で, 一方だ, 上に, 上で, 上は)

Tulisan ini terinspirasi dari chanel Nihongo no Mori, dan saya hanya sedang berupaya memahaminya dalam konteks Bahasa Indonesia.
untuk hal itu, mari kita bersama memperbaiki apabila saya kurang memahami konteksnya. 1. あげく = 結果 (Kekka) Arti: Setelah, Akhirnya 悩んだあげくスパゲティを食べた Nayanda ageku spaghetti wo tabeta Setelah kebingungan akhirnya memilih spageti untuk dimakan 迷ったあげく何も買わなかった Komatta ageku nani mo... Continue Reading →

Kanji List by Grade 1-6

Kanji list by grade for primary school (1 Grade - 6 Grade) 第一学年 一        右        雨        円        王        音        下        火        花        貝 学        気        九        休        玉        金        空        月        犬        見 五        口        校        左        三        山        子        四        糸        字 耳        七        車        手        十        出        女        小        上        森 人        水       ... Continue Reading →

結婚で日本に移住したフィリピンの女性たち

広島大学、2017年7月12日、発表した アウトライン。。。。。。 アジアの中を移動する女性たち 『結婚で日本に移住したフィリピンの女性たち』 長坂格 この論文ではこれら日本在住のフィリピン人結婚移住女性のライフヒストリーを紹介することで、彼女たちの、微細な差異を伴った移住以前の生活や移住経緯、さらには移住後の社会生活の再構築の特徴を明らかにすることを試みる。  研究方法 この論文ではインタビュー方法を適用した。インタビュー内容は、出身地での経験、移住過程、結婚後の生活である。同じ地域に居住するフィリピン人結婚移住女性たちのストリに見出される、こうした強調点の違いや個別の事情の違いをなるべく活かした記述を心がけたい。 具体的には、彼女たちが移住以前にフィリピンでどのように暮らし、その後いかに日本人男性と結婚するに至ったのか、また結婚移住後にいかなる生き方を模索してき たのか、そしてそれは彼女たちの移住生活経験、そして自己意識といかなる関係を持つのかなどといった点を、彼女たちのライフヒストリーを記述する中で検討してみたい、そして彼女たちのライフヒストリーに見いだされる結婚移住女性たちの異なる移住経路や、その中でのよりよき生への摸索に注目することで、経済力、政治力、そしてステレオタイプ化されたイメージによって差異化、分断されるアジアを、人々がどう経験し、そしてどう乗り越えようとしてきたのか、その一端でも描き出すことができればと思う。 フィリピン から 日本 へ の 結婚移住 フィリピンは、1974年以降、移住労働者の送り出しを政策的にすすめてきた。フィリピン人女性の多くは東アジア、西アジア、ヨーロッパ、北米諸国などへ、看護、介護、家事労働の分野での就労を目的に移住していった。 日本への就労目的の移住は、1980年代初頭以降、日本の在留資格「興業」を通しての、ホテルやナイトクラブでエンターテイナーとして就労する若年女性の移住が中心となるという、他の国に見られない特徴をもっていた。 1994年以降は、「アーティスト」としての認定を受けた後、「興業」ビザを申請することになっていた。「興業」ビザで来日するフィリピン人女性の数は、2003年には年間000人以上に達した。 1980年代以降の日本人男性とフィリピン人女性との国際結婚の増加の重要な背景となった。フィリピン人女性と日本人男性の結婚は、日本人男性の国際結婚相手の出身国統計にフィリピンが記載されるようになった1992年の段階で、5771件となっており、その年の日本人男性の国際結婚相手の出身国としてはトップであった。 その後、日本人男性と結婚した女性の出身国トップは中国に取って代わられるが、それでも7000組前後の日比カップルが毎年生まれた。さらに「興行」ビザ発給基準の厳格化がなされた2005年と翌年には000組を超える日比結婚が行われている。ただし、その後日本人男性とフィリピン人女性の結婚件数は徐々に減少している、2013年には3118組にまで減少した 結婚移住女性 の ライフ ヒストリー ケース1 ジョアンナ2005年に九歳年上の男性と結婚 ジョアンナは1977年、五人兄弟の11番目としてマニラ近郊の州で生まれる。父は、フィリピンで庶民が利用する乗り合いバスであるジープニーのドライバーで、母はマニキュリストをしていた。他にごく小規模な養豚も行っていた。父親のキョウダイが同じ敷地内に住んでいる。子ども時代の生活は「大変だった」。 そのうちイトコから、日本で働く「タレント」をリクルートする男性を紹介された。その男性は、自宅に何度もジョアンナを勧誘にきた。「日本に行ったらすごいお金が貯まるで」と言われ、自分も行きたいと思うようになった。 A市近くの町で働いているときに、ジョアンナは10歳年上のトラックの運転手である未婚の独身男性、武田と出会った。四回目の契約が終了するとき、それ以前にフィリピンのジョアンナの家を尋ねたこともあった。武田は、彼女に結婚を申し込んだ。 結婚する後にジョアンナが、喜んでほしいからと子供にプレゼントをあげることに対して義母から「もったいない」と反対されることにストレスを感じたこともあった。 義母との同居も必ずしもスムーズではなかった。義母がすべてを決めることや夫の食事を作り続けることにも抵抗を感じた。そこで3年前から夫とも相談し、食事は自分たちで作ることにし、家計も分離することにした。 ケース2 ジャネット2004年に10歳年上の男性と結婚 ジャネットは1967年7人キョウダイの三番目として生まれた。父親は溶接工、母親は主婦であった。日本には妹が1人、A市内で結婚移住して住んでいたが最近離婚した。友人は、ジャネットの10歳年上で地元の建設会社に勤務する、離婚経験のある日本人男性上田を紹介した。 上田は、ジャネットに会うために、2003年の10月にフィリピンを訪れた。 結婚する後、11年間は「喧嘩ばかり」だった。夫は酒をよく飲み、友人と酔っぱらって騒いだりすることに加え、パチンコに出かけることが多かった。「夜、仕事かえってから、シャワーするだけ。一緒にご飯食べて、すぐに(パチンコに)出ていく」。最初の家は、A市の中でも山間地域だったので、「わー、この山ばっかりのところで、一人でどうするの」と泣いてばかりいた。 ただ二人の間に男の子が生まれ、成長していくと夫のパチンコ通いは止まった。ジャネットは、子どもが幼稚園に入ってからまず自動車部品工場で働くようになった。その仕事は、夫を紹介してくれたフィリピン人の友人と一緒だった。現在は、ハローワークで紹介された食品加工工場 に移り、そこで四年間働いている。 ケース3 リサ2008年に2歳年上の男性と結婚 リサは1966年に、マニラ近郊の州で8人兄弟の5番目に生まれた。父親は警察勤務で母は化粧品の販売などをしていた。 父親は、警察官としてのキャリアの後半には専門分野の教官をしており、ある程度の地位にあったと推測される。 結局リディアは日本に行き、最初の数回の契約ではホテルでフォークダンスのショーをおこなうダンサーとして働き、後に、より給料が高いクラブの「タレント」として働くようになった。リサは、大学在学中であった1988年に、「そのときは流行っていたから」と「タレント」として日本に行き、その後名古屋や東京で9年に渡って働いた。 9年後に地元に帰ったときに、同じプロモーションから日本に行った友達から、その兄ジュニーを紹介された。やがてジュニーと交際をするようになり、結婚することになった。結婚して電気修理店を営む夫の家に住み始め、夫の商売を手伝いながら3人の子どもを持った。ところが3人目の子供が生まれた後、しばらくして夫ジュニが癌で急逝してしまった。 山崎は離婚経験がある、リサより11歳年上の男性だった。山崎から日本滞在中に求婚されたとき、リサは再婚に対して大きな不安があった。 フィリピンに帰って自分が働き、これから子供を学校に行かせることができるかどうかと思う一方で、たとえ自分のことを愛していても子どものことを放っておくような男性と結婚したら子どもがどうなってしまうのかを考えると、すぐに結婚に踏み切ることはできなかった。 そこでリサは「私には子供が3人いる。もし私のことが好きなら、私のことだけじゃなくて子供まで大事にしてくれれば私もちゃんと、ね、奥さんになりますよ」と言い、子供を呼び寄せる計画も伝えた。 リサは山崎が断ると思っていたが、次の日に「それでもいい」と言ったので、再婚することにした。 12月に結婚して、正月には「田舎なので」夫の親や兄の家に挨拶に行った。 夫が再婚について何も言わなかったので夫の兄は怒っていたという。 社会関係と自己意識の再構築  彼女たちの語りは、フィリピンでの出身階層が微妙に異なる女性たちが、日本とフィリピン両国で様々な関係を取り結びながら、異なる移住経路を辿ってフィリピンから日本への結婚移住に至ったことを示していた。 例えば庶民層に一般的な職業であるジープニーのドライバーを父に持つジョアンナは、周囲の日本帰りの人の話を聞くことで、「家族のために」と日本での「タレント」としての就労を決意した。 フィリピンのメディア上の日本で就労するフィリピン人女性のイメージもあり、父親の強い反対を受けるなどしたが、反対を押し切って日本に移住した。 その後店で会った男性の求婚を受け、迷いながらも「日本に残りたい」と考え、「私だけでなく、私も家族も(幸せにして)」と告げて結婚することにし、「これからは旦那さんのことだけしか見ない」と決意した。 ジャネットは、社会的上昇のチャンスを持つ海外契約労働者の父を持ちながらも、父親の就労先での怪我などで生活の安定が得られない状況で、複数の仕事をかけもちして生活してきた。 しかし30代半ばで結婚願望が高まり、日本在住の結婚移住をした友人から男性を紹介され、フィリピンの教会で式を挙げて結婚に至った。 リサは、ある程度の地位にある警察官を父に持つが、日本で「タレント」として働く妹や周囲の人の影響を受け、大学を中退して、日本で「タレント」として8年間働いた経験を持つ。 その後、フィリピンで「タレント」仲間の兄と結婚したが、3人の子供を持った後に夫が急死し、生活が困窮する中、日本在住の妹から紹介を受けた日本人男性の求婚を受け、子どもを連れてくる希望があることをあらかじめ伝えた上で結婚した。 日本人家庭に単身で参入することによって生じる彼女たちの不確実性と困難についてみていくと、日本へのフィリピン人結婚移住女性の場合、一般に、他の国へのフィリピン人の移住において重要性を持つことが多い親族のネットワーク、あるいは業者等の斡旋ネットワークへの依存の度合いがきわめて低い。... Continue Reading →

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