広島大学、2017年7月12日、発表した

アウトライン。。。。。。

アジアの中を移動する女性たち 『結婚で日本に移住したフィリピンの女性たち』

長坂格

この論文ではこれら日本在住のフィリピン人結婚移住女性のライフヒストリーを紹介することで、彼女たちの、微細な差異を伴った移住以前の生活や移住経緯、さらには移住後の社会生活の再構築の特徴を明らかにすることを試みる。

 研究方法

この論文ではインタビュー方法を適用した。インタビュー内容は、出身地での経験、移住過程、結婚後の生活である。同じ地域に居住するフィリピン人結婚移住女性たちのストリに見出される、こうした強調点の違いや個別の事情の違いをなるべく活かした記述を心がけたい。

具体的には、彼女たちが移住以前にフィリピンでどのように暮らし、その後いかに日本人男性と結婚するに至ったのか、また結婚移住後にいかなる生き方を模索してき たのか、そしてそれは彼女たちの移住生活経験、そして自己意識といかなる関係を持つのかなどといった点を、彼女たちのライフヒストリーを記述する中で検討してみたい、そして彼女たちのライフヒストリーに見いだされる結婚移住女性たちの異なる移住経路や、その中でのよりよき生への摸索に注目することで、経済力、政治力、そしてステレオタイプ化されたイメージによって差異化、分断されるアジアを、人々がどう経験し、そしてどう乗り越えようとしてきたのか、その一端でも描き出すことができればと思う。

フィリピン から 日本 へ の 結婚移住

  • フィリピンは、1974年以降、移住労働者の送り出しを政策的にすすめてきた。フィリピン人女性の多くは東アジア、西アジア、ヨーロッパ、北米諸国などへ、看護、介護、家事労働の分野での就労を目的に移住していった。
  • 日本への就労目的の移住は、1980年代初頭以降、日本の在留資格「興業」を通しての、ホテルやナイトクラブでエンターテイナーとして就労する若年女性の移住が中心となるという、他の国に見られない特徴をもっていた。
  • 1994年以降は、「アーティスト」としての認定を受けた後、「興業」ビザを申請することになっていた。「興業」ビザで来日するフィリピン人女性の数は、2003年には年間000人以上に達した。
  • 1980年代以降の日本人男性とフィリピン人女性との国際結婚の増加の重要な背景となった。フィリピン人女性と日本人男性の結婚は、日本人男性の国際結婚相手の出身国統計にフィリピンが記載されるようになった1992年の段階で、5771件となっており、その年の日本人男性の国際結婚相手の出身国としてはトップであった。
  • その後、日本人男性と結婚した女性の出身国トップは中国に取って代わられるが、それでも7000組前後の日比カップルが毎年生まれた。さらに「興行」ビザ発給基準の厳格化がなされた2005年と翌年には000組を超える日比結婚が行われている。ただし、その後日本人男性とフィリピン人女性の結婚件数は徐々に減少している、2013年には3118組にまで減少した

結婚移住女性 の ライフ ヒストリー

ケース1 ジョアンナ2005年に九歳年上の男性と結婚

  • ジョアンナは1977年、五人兄弟の11番目としてマニラ近郊の州で生まれる。父は、フィリピンで庶民が利用する乗り合いバスであるジープニーのドライバーで、母はマニキュリストをしていた。他にごく小規模な養豚も行っていた。父親のキョウダイが同じ敷地内に住んでいる。子ども時代の生活は「大変だった」。
  • そのうちイトコから、日本で働く「タレント」をリクルートする男性を紹介された。その男性は、自宅に何度もジョアンナを勧誘にきた。「日本に行ったらすごいお金が貯まるで」と言われ、自分も行きたいと思うようになった。
  • A市近くの町で働いているときに、ジョアンナは10歳年上のトラックの運転手である未婚の独身男性、武田と出会った。四回目の契約が終了するとき、それ以前にフィリピンのジョアンナの家を尋ねたこともあった。武田は、彼女に結婚を申し込んだ。
  • 結婚する後にジョアンナが、喜んでほしいからと子供にプレゼントをあげることに対して義母から「もったいない」と反対されることにストレスを感じたこともあった。
  • 義母との同居も必ずしもスムーズではなかった。義母がすべてを決めることや夫の食事を作り続けることにも抵抗を感じた。そこで3年前から夫とも相談し、食事は自分たちで作ることにし、家計も分離することにした。

ケース2 ジャネット2004年に10歳年上の男性と結婚

  • ジャネットは1967年7人キョウダイの三番目として生まれた。父親は溶接工、母親は主婦であった。日本には妹が1人、A市内で結婚移住して住んでいたが最近離婚した。友人は、ジャネットの10歳年上で地元の建設会社に勤務する、離婚経験のある日本人男性上田を紹介した。 上田は、ジャネットに会うために、2003年の10月にフィリピンを訪れた。
  • 結婚する後、11年間は「喧嘩ばかり」だった。夫は酒をよく飲み、友人と酔っぱらって騒いだりすることに加え、パチンコに出かけることが多かった。「夜、仕事かえってから、シャワーするだけ。一緒にご飯食べて、すぐに(パチンコに)出ていく」。最初の家は、A市の中でも山間地域だったので、「わー、この山ばっかりのところで、一人でどうするの」と泣いてばかりいた。
  • ただ二人の間に男の子が生まれ、成長していくと夫のパチンコ通いは止まった。ジャネットは、子どもが幼稚園に入ってからまず自動車部品工場で働くようになった。その仕事は、夫を紹介してくれたフィリピン人の友人と一緒だった。現在は、ハローワークで紹介された食品加工工場 に移り、そこで四年間働いている。

ケース3 リサ2008年に2歳年上の男性と結婚

  • リサは1966年に、マニラ近郊の州で8人兄弟の5番目に生まれた。父親は警察勤務で母は化粧品の販売などをしていた。 父親は、警察官としてのキャリアの後半には専門分野の教官をしており、ある程度の地位にあったと推測される。
  • 結局リディアは日本に行き、最初の数回の契約ではホテルでフォークダンスのショーをおこなうダンサーとして働き、後に、より給料が高いクラブの「タレント」として働くようになった。リサは、大学在学中であった1988年に、「そのときは流行っていたから」と「タレント」として日本に行き、その後名古屋や東京で9年に渡って働いた。
  • 9年後に地元に帰ったときに、同じプロモーションから日本に行った友達から、その兄ジュニーを紹介された。やがてジュニーと交際をするようになり、結婚することになった。結婚して電気修理店を営む夫の家に住み始め、夫の商売を手伝いながら3人の子どもを持った。ところが3人目の子供が生まれた後、しばらくして夫ジュニが癌で急逝してしまった。
  • 山崎は離婚経験がある、リサより11歳年上の男性だった。山崎から日本滞在中に求婚されたとき、リサは再婚に対して大きな不安があった。 フィリピンに帰って自分が働き、これから子供を学校に行かせることができるかどうかと思う一方で、たとえ自分のことを愛していても子どものことを放っておくような男性と結婚したら子どもがどうなってしまうのかを考えると、すぐに結婚に踏み切ることはできなかった。
  • そこでリサは「私には子供が3人いる。もし私のことが好きなら、私のことだけじゃなくて子供まで大事にしてくれれば私もちゃんと、ね、奥さんになりますよ」と言い、子供を呼び寄せる計画も伝えた。 リサは山崎が断ると思っていたが、次の日に「それでもいい」と言ったので、再婚することにした。 12月に結婚して、正月には「田舎なので」夫の親や兄の家に挨拶に行った。 夫が再婚について何も言わなかったので夫の兄は怒っていたという。
  1. 社会関係と自己意識の再構築 
  • 彼女たちの語りは、フィリピンでの出身階層が微妙に異なる女性たちが、日本とフィリピン両国で様々な関係を取り結びながら、異なる移住経路を辿ってフィリピンから日本への結婚移住に至ったことを示していた。
  • 例えば庶民層に一般的な職業であるジープニーのドライバーを父に持つジョアンナは、周囲の日本帰りの人の話を聞くことで、「家族のために」と日本での「タレント」としての就労を決意した。
  • フィリピンのメディア上の日本で就労するフィリピン人女性のイメージもあり、父親の強い反対を受けるなどしたが、反対を押し切って日本に移住した。
  • その後店で会った男性の求婚を受け、迷いながらも「日本に残りたい」と考え、「私だけでなく、私も家族も(幸せにして)」と告げて結婚することにし、「これからは旦那さんのことだけしか見ない」と決意した。
  • ジャネットは、社会的上昇のチャンスを持つ海外契約労働者の父を持ちながらも、父親の就労先での怪我などで生活の安定が得られない状況で、複数の仕事をかけもちして生活してきた。
  • しかし30代半ばで結婚願望が高まり、日本在住の結婚移住をした友人から男性を紹介され、フィリピンの教会で式を挙げて結婚に至った。
  • リサは、ある程度の地位にある警察官を父に持つが、日本で「タレント」として働く妹や周囲の人の影響を受け、大学を中退して、日本で「タレント」として8年間働いた経験を持つ。
  • その後、フィリピンで「タレント」仲間の兄と結婚したが、3人の子供を持った後に夫が急死し、生活が困窮する中、日本在住の妹から紹介を受けた日本人男性の求婚を受け、子どもを連れてくる希望があることをあらかじめ伝えた上で結婚した。
  • 日本人家庭に単身で参入することによって生じる彼女たちの不確実性と困難についてみていくと、日本へのフィリピン人結婚移住女性の場合、一般に、他の国へのフィリピン人の移住において重要性を持つことが多い親族のネットワーク、あるいは業者等の斡旋ネットワークへの依存の度合いがきわめて低い。
  • 試みと共に、こうした捉えどころのない微細な自己の再構築を丹念に追うことも、歴史的に形成された特定のイメージの中で生きていく人々の多様な生き方の模索の理解として、同様に重要性を持つと考えている。

おわりに

本章で事例として取り上げた女性たちは、いずれも婚姻関係が継続している結婚移住女性である。近年の日本人男性とフィリピン人女性の離婚件数の増加を踏まえれば、ここで取り上げた三例が、フィリピン人結婚移住女性の移住生活経験を代表しているわけではないことも強調しておく必要がある。ただし、少数の人への詳細な聞き取り調査は、それが代表性を持たないにしても、経済的不平等、ジェンダーを含む文化的な規範、人の移動、就労を規制し方向づける諸制度、さらにはそれらと関連して形成されるイメージなどの諸力が、いかに絡み合いながら移動する人々に作用し、そして人々がいかにそうした作用に対応しているのかについて、量的調査では得られない洞察や知見をもたらす可能性を持つ。

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